ミュージック・フロム・でかぴんく

大日本カルト共和国衰退の歴史。

右眼の視えない祖母

「橋本さん。私の父方の祖母は在日朝鮮人なんですよ。もともとは秋田に住んでいましたが、早いうちに両親を亡くし、そのあとは二人の姉と一緒に秋田を出て四日市に移り住みました。姉二人は工業地帯付近の繁華街で水商売をやっていましたが、祖母は新造のデパートの販売員をやりながら美容師学校に通い、何年かして資格を取ったあとは名古屋の美容室で働きました。そこで一時の出稼ぎに出ていた祖父と出会い、うちに結婚して祖父の実家のある三重県志摩市の漁師町に移り住み、程なくして私の父を産みました。父が5歳になる年の初夏の昼下がり、祖母が庭先に出て畑仕事をしていると、あまりの陽気につられてしまったのでしょうか、子どもの時分に聴いたハングルの歌が口から漏れていたそうです。しかし不運なことに、通りがかった数人の子どもがその歌を聴き、『朝鮮人が朝鮮の歌を歌ってるぞ!』と騒ぎ立て、祖母に向かって石を投げ始めました。そのうちの赤ん坊の拳大の石が祖母の右目に当たり、祖母は大怪我を負いました。漁から帰ってきた祖父はその傷を見るなり動転し、ともかく村の医者に連れていきました。しかし、村の医者は『朝鮮人の病気は診られない』と言って治療を拒否するので、祖父は市内の大病院まで車を走らせました。片道2時間の道のりを往復して、家に帰るのは夜の7時くらいであったそうです。その間、父はたった一人で両親の帰りを待っていました。村には車二台がまともに通ることのできる道が一本しかなかったので、堤防に沿って市内に伸びているその道を、父は窓からじっと見ていたそうです。祖母はその怪我で右眼の視力をほぼ完全に失いましたが、村八分にあうのを恐れてか障害年金の類は一切受け取りませんでした。不自由ながらもその身体で一家を切り盛りし、父とその妹を育て上げました。父は小学校にあがるとすぐに苛烈ないじめにあいました。棒でぶたれたり、からかわれたりと、毎日のように悲惨な目にあって帰ってきていたようです。父はその反動からか、高校に入ってからは猛勉強して国立大学の医学部に進学。栃木の大学寮に入って村を出ました。妹の方はそんな兄の姿を見て育ったこともあってか、悪意の標的から逃れる術を心得ていたようで、並の成績で高校を卒業したあとは大阪のレンタカー会社に就職。結婚して今もそのまま大阪に住んでいます。兄妹は若いうちから、両親をこの村から出そうと引越しを勧めていたようですが、当の本人たちが『今さら別の場所に移り住むのも面倒だ』と言ってためらうので、次第に諦めて、住まいについては何も言わなくなったようです。それでも盆に一家が集まる時には、この兄妹はいつもどこかやり切れない曇りを抱えているように見えます。盆暮れになると、隣家にあたる家々は古くからの因習で、庭先で若い松の木を焚いてその煙に乗せて祖先の霊を送るのですが、私たちの家は仏壇に慎ましく線香をあげるだけです。そういう時、私は弟や従兄弟たちを連れて夜の散歩に出かけるのです。まだ幼い兄弟たちは肝試しの気分でおどけたり、こわがったりします。ひんやりと湿った海風が肌を撫でる村の空気には、松の濃い煙と、松ヤニがバチバチと弾ける音が充満して、私たちは目をしばたかせながら家に帰ります。橋本さん。私の家族が橋本さんになにかご無礼を働いたでしょうか。私たちの誰かがあなたから大切なものをひとつでも奪ったでしょうか。私はあなたのことを仕事ができて、情にも厚い立派な方だと思って尊敬して参りましたが、今日は美味しくお酒が飲めそうにないのでこれで失礼します。橋本さんならわかっておられると思いますが、謝って済むようなことではないので、謝罪などはなさらないで下さい。今後二度とそのようなことを口に出さないで頂ければ結構です。それでは。」

オタクはどこから来たのか 1〜大衆文化とまなざしの不在〜

ポピュリズムと大衆

少し唐突だが、私たちの生きる現代において、「大衆」という言葉は様々な意味で用いられる。

私が「大衆」という言葉を意識し始めたのは、2019年頃からだろうか。「大衆」というからには、それは独りでにやってくるものではない。

 

2019年は、池袋母子死亡事故をきっかけに、「上級国民」という言葉がネットで一般化した年であり、それに呼応するように、大衆という言葉の意味もきな臭い風味を帯びてきた。

同年の第25回参議院選では、自民党議席を減らす一方で、維新が躍進し、れいわ新選組NHKから国民を守る党からも議員が誕生した。いわゆる「ポピュリズム」台頭の年である。

 

とは言ってみたものの、近年ますます異形化するポピュリズムの内実は、従来の意味での「大衆的」という形容を、そのまま当てはめるだけでは到底理解できない、というのもまた事実である。
ポスト・トゥルース」という言葉が示唆するように、ネットを媒介に増殖するポピュリズム的な何かは、それ以前にもあったような、単なるカリスマ、単なるカルト、単なるデマゴーグを超えている。それらを説明しようとする様々な立場は非常に興味深い言論を生んでいるが、今回は、新たなる異形に立ち向かう前に、今まで「大衆」とされてきたものが、一体どのような人々だったのか、その意味と価値を再検討するところから始めたい。

 

「大衆」とは何者か

「大衆」の意味を明らかにするためには、「大衆でないもの」を考えてみるのがわかりやすい。

「大衆でないもの」と言われた時に思い浮かぶ様々な肖像を見渡してみた時、大衆でない人々にある共通点が備わっていることに気付かされる。それは「目が合わない」ということだ。


今まで我々が出会ってきた、偉人や貴人と呼ばれる人々の像や絵画、写真の中に、こちらを見つめているものが一つでもあっただろうか。

たしかに、目線がこちらの方向に向いていることはあったかもしれない。だが、その焦点は、いま私が立っている位置の遥か遠くを見つめているに違いない。

一万円札を頭に思い浮かべてみてほしい。億単位の大衆が血眼でそれを追い求めている一方で、福沢諭吉はまるで彼らがまるごと眼中にないかのようにそっぽを向いているはずだ。

 

文化と大衆

彼ら大衆でない人々の中で、こちらを見つめている者は、もはや七不思議と化したあの音楽室のバッハくらいのものだろうか。

思い返してみれば、我々があの肖像画特有の威厳にはじめて出会ったのは、小学校の音楽室だったのではないか。

非大衆的なものの代表としてクラシック音楽を挙げるのは、いささか陳腐な発想ではあるのかも知れないが、大衆文化以外の文化を見つけるのが困難な現代社会において、あの偉大なる作曲家たちの顔ぶれは、多くの人が共有する非大衆的なもののささやかな原体験として考えてみる価値がありそうだ。

 

「まなざし」の文化論

ここで、大衆と非大衆の対立関係を、「まなざし」という観点から捉える試みを、演芸文化の領域に当てはめてみたい。
いまや消費文化の一カテゴリーでしかないとはいえ、クラシック音楽は、歴史的にみれば、紛れもなく貴族文化である。その非大衆性は、オーケストラ・コンサートの舞台設計の中に、象徴的に現れている。


オーケストラの一般的な布陣は、指揮台が中央に置かれ、そこに立つ指揮者を取り囲むように各楽器が配置される。100名を超えるフルオーケストラが、同心円状に整列した光景は、張り詰めた威厳を感じさせる。この人物の配置におけるある種の様式美は、音響的な合理性だけで導き出された訳ではない。

「まなざし」という観点から考えると、この配置が、観客の視線を意識してデザインされたものであることがわかる。御察しの通り、このオーケストラの配置は、観客の位置からでは誰とも目が合わない仕組みになっている。演奏者の視線は指揮者に集約されており、観客からのまなざしと重なることはない。そして、当の指揮者こそは、観客に背を向けて立っている。クラシック音楽における指揮者は、大規模なオーケストラの演奏に秩序を与える役割を持つのみならず、コンサートの場において、その文化の威厳と格式を演出する舞台装置としても働いている。
この一点だけでも、クラシック音楽がいかに超越的な美を求める文化であるかは明らかであろう。観客は、その席に座って演奏を聴いている間、いま目の前にあるはずの美を決して真っ向から見つめることはできない。その美の円の中心に立つ指揮者の位置に立つことはおろか、その表情を掠め見ることも許されず、彼の背から漏れる影を闇の中で捉えることしかできない。イデア論的な美の世界を舞台上に見立てているのである。

 

4人は「アイドル」

クラシック音楽のこの特徴を踏まえると、大衆演芸の定義は極めてわかりやすくなる。

ビートルズを例に考えてみよう。ビートルズは全員が観客の方を真っ直ぐに向いている。体の向きが客席に対して直角なのだ。観客は「ポールと目が合った!」と大喜び、泡を吹いて失神する客もいる。

彼らは「アイドル」だ。

クラシック音楽ビートルズを「まなざし」という観点で比較するならば、前者がイデアの世界なのに対し、後者はアイドル・偶像の世界だ。ジョンやポールと目が合うことにそれだけの力が宿る理由は、それが美の顕現に見立てられているからである。

 

見る/見られる

西洋哲学の用語から離れて、大衆演芸の意味を語るならば、それは「見る」ことにおける主客の逆転と捉えることもできる。
「目が合う」という現象は、観客と演者の間にあったはずの「見る」「見られる」という関係を、一瞬にして逆転させてしまう。誰からも顧みられなかった一人の存在が、思いがけずその強烈な眼差しに晒されるその瞬間に、人間は芸の道に見入られる。

日本の歌舞伎、中国の京劇。どちらも眼を大きく強調させる隈取りの化粧が特徴的な文化だが、いちばんの醍醐味はやはり「見栄を切る」所作であろう。

時代に翻弄される二人の京劇俳優を描いた名画『さらば、わが愛/覇王別姫』には、この見栄の迫力が見事に表現されたシーンがある。2人の演者が客席の方を睨むと同時に銅ばつがバシャン!と打ち鳴らされ、その鋭い音が一瞬のうちに観客の喉元に迫る。この視線の交錯。舞台に惹き付けられた観客の眼差しを、役者の芸が睨み返すその一瞬こそが、大衆演芸の悦びだ。

 

そこには、オーケストラのコンサートにあった張り詰めた緊張とはまた別の緊張がある。観客の視線を直に浴びるということは、表現の意味や価値に関する決定を、観客に委ねるということだ。自分の表現が、どんなふうに「見られる」か、わからない。他者を相手にするということはそういうことである。しかし、だからこそ、そのようなままならなさを真っ向から引き受けて立つ者は美しい。向き合って立つ、そのことによって投げ返される強烈なまなざしにこそ、我々は打たれるのだ。

 

めちゃめちゃつづく𝓉ℴ 𝒷ℯ 𝒸ℴ𝓃𝓉𝒾𝓃𝓊ℯ𝒹

瀧に三葉に青葉に佐倉 『君の名は』?名付けと呪いの倫理学

ゲボドラマ

 

一昨年の冬、あるドラマが狂ったように流行っていたのを覚えているだろうか。

『silent』Official髭男dismの主題歌とともに爆売れした大ヒットドラマだ。

中心となるのは、主人公の女性と、元恋人、現恋人の幼なじみの間の三角関係だ。順調だったはずの関係に一方的に別れを宣告され、気持ちを清算できないままになっていた元カレと偶然街で再開したところ、彼はなんと聴覚障害者になっていた。彼ともう一度本音で心を交わすため手話を学びはじめた主人公は、その過程で過去の関係を反芻し、現在の生活にも徐々に変化を与えていく……

 

明らかにコミュニュケーションをテーマにしたドラマである。登場人物たちがお互いを気遣い、繊細な内面に向き合おうとする健気な努力が視聴者の心を掴んでいた。

私はこのドラマをはじめて見た時、この国は病気だと思った。

 

まず、コミュニュケーションを描いているはずなのに、役者がまるで独り言でも言っているかのような喋り方をするのだ。存在しない港区の人間が、意識が飛びそうになるほど空虚な言葉を、存在しない間のとり方で話し、ひと通り満足したところで髭男が流れるだけのドラマだ。本当に吐き気がする。

 

はじめに断っておくが、私は『silent』を断片的にしか見ていない。ストーリーも覚えていないし、結末も忘れた。あんなものを2分でも継続して視聴しようものなら、たちまち脳が焼き切れてしまう。

 

つまり何が言いたいかと言うと、私が今回問題にするのは、ドラマの筋書きとか、細かい演出の内容などではないのだ。そういう仕事は脳みそがタフな人に任せたい。私が考えたいのは、この吐き気の正体だ。この作品全体に充満する空虚さと欺瞞が一体どこから来るものなのか、それを知りたい。

 

「ない」ドラマ

観点を尖らせていくならば、登場人物の内面描写や、コミュニュケーションに対する演出など、細かい表現を批判の対象にして論じることも可能であろうが、パートタイマーの私にそんな体力は無い。そういうチマチマした話を一旦横に置いて、この作品の気持ち悪さを、敢えて一言で言ってみよう。

 

「こんな人間はいない‼️」

 

こんな人間はいないのである。そもそもなんだコイツらは。全ての夢が叶うと言われるパラレルワールド「港区」で恋をする、この人達一体誰なんですか?

 

私がこのドラマに最も違和感を感じる点は、登場人物のネーミングの抽象性である。
3人の名前はそれぞれ、

 

青葉紬(あおばつむぎ)、佐倉想(さくらそう)、戸川湊斗(とかわみなと)。 

 

お分かりいただけただろうか?こんなヤツらいないのである。
彼らは、作中では専ら「あおば」「さくら」「みなと」と呼ばれているが、なんと絵文字みたいな名前だろうか。
🍀、🌸、🏖。これらの記号的な名前は、「歴史」の痕跡が意図的に排除されたネーミングである。

 

名前という地獄

それが人間として産まれた者の名前である限り、姓は自分では選べない。だからこそ、名字には血縁や歴史の因果が色濃く現れる。姓は言わば、存在の「どうしようもなさ」を象徴する部分だ。


同時に、名の方も、人間のしがらみそのものだ。現代では、親は子どもの名付けに将来への思いを込める。それは祈りであると同時に、呪いでもあるのだろう。そうでなくても、「〜郎」や「〜子」といった旧来の名付けの様式は、生まれた子どもを社会的な性や、周りの親兄弟との関係・序列に組み込む役割を果たしている点で、ある種の呪術と言えるだろう。

 

創作においても、登場人物の名付けに、どのような呪いをどの程度掛けるかは、作品の背景を示す上でとても重要だ。
例えば、『ドラえもん』という作品は、単なる子ども向けコミックやSFコメディの枠にとどまらない国民的作品として親しまれているが、主要登場人物の名付けを注意深く見てると、その重要性がわかる。

 

野比のび太」「骨皮スネ夫」「剛田武」「源しずか

 

お分かりいただけるだろうか?『ドラえもん』が秀逸なのは、まず「ある」名前と「ない」名前のバランスが半々に設定されている点である。私は断言できる。もし全員が「ない」名前のキャラクターならば、『ドラえもん』は現在ほどの地位を築けてはいないだろう。

ドラえもん』が誰もが親しめる作品となり得ているのは、「剛田武」と「源しずか」が「いる」からだ。

 

小学生の頃を思い出して欲しい。のび太のように、残忍さと優しさ、愚かさと賢明さ、さまざまな矛盾を兼ね備えた稀有な少年は、周りにいなかったかもしれない。大豪邸に住む社長御曹司も、公立小学校にはいないだろう。だが、ガキ大将は絶対にいたはずだ。ガキ大将のいない小学校などこの世に存在しない。中流階級家庭のおしとやかな女の子も絶対にいる。『ドラえもん』では「いる」キャラクターに「ある」名前が付けられている。そして彼ら4人が集う場所こそ、「空き地」というまっさらな、無記名の空間なのである。

 

これだけでも『ドラえもん』の舞台設定がフィクションとして完璧なことがわかるが、結局、我々はのび太ドラえもんの側からではなく、剛田武源しずかの側から作品世界に入っていき、空き地のおかげでフィクションとの邂逅を果たすことができるのだ。

 

恐怖の扉

話を『silent』に戻そう。

青葉紬(あおばつむぎ)、佐倉想(さくらそう)、戸川湊斗(とかわみなと)。

改めて考えても、彼らの名前に人間の痕跡は見当たらない。誰がどこで、どんな思いで彼らを産み出したのか、全く見えてこない。それどころか、やはり敢えてそういった情報、「歴史」を排除して、キャラクターを抽象的な存在に仕立てあげようという意図が明確に感じられる。


「恋愛」と「コミュニュケーション」が主題なのに。まさか、「恋愛」と「コミュニュケーション」が主題だから……???

 

この辺りはあまりにも恐ろしいトピックなので、私にはまだ踏み込めない領域であるが、昨今のフィクションの傾向として、名付けの抽象性は明らかに指摘できる点だと思う。
『君の名は』だって瀧(🌊)と三葉(☘️)だ。

 

歴史なんてないさ、歴史なんてウソさ

この「歴史」の不在性は、21世紀の日本の雰囲気と呼応しているように思われる。

21世紀において、日本という国家や文化は歴史的連続性から切り離され、ぽっかり宙に浮いているように感じる。例えば太平洋戦争における日本の戦争責任や加害の歴史は殆どと言っていいほど顧みられない。
終戦の日に近くなると、毎年テレビで特番が組まれたりするが、「平和」という漠然とした言葉に包摂され、何ら具体的な反省も、大日本帝国と現在の日本政府、政党の連続性も示さない、単なる空虚な恒例行事と化している。


伝統文化に関しても外国人観光客向けのセルフ・オリエンタリズムと言いたくなるような表面的なイメージばかりが先行し、「クールジャパン」などという哀れな形容を自ら生み出すほどの有様だ。祭りに行っても盆踊りのひとつもまともに継承されておらず、民謡を歌える人もほとんどいない。民間レベルでは伝統などとうに消え失せている。

 

恋愛という主題は、いまや歴史から切り離された人間たちの慰みものになっているのか。

昨年の命名調査で、『silent』の流行を受けて「紬」「湊斗」「想」が大きくランクアップする動きがみられた、という記事をネットニュースで見た。ゾッとするようなオチである。

 

言葉はまるで雪の結晶 君にプレゼントしたくても
夢中になればなるほどに 形は崩れ落ちて溶けていって消えてしまうけど
でも僕が選ぶ言葉が そこに託された想いが
君の胸を震わすのを 諦められない 愛してるよりも愛が届くまで
もう少しだけ待ってて
Subtitle-Official髭男dism

 

そんな訳あるか。言葉は「呪い」だぞ‼️

漫才論Ⅱ 「誰も傷つけない笑い」の矛盾

漫才再考

2023年のM-1グランプリが終わってしばらく経ったが、やはり私は漫才について書くことを我慢できない。

このブログでは、以前にも「ヘイト漫才」の炎上を題材として、「漫才とはなにか」という問いを考えてみた。その記事では、漫才を「倫理」という観点から紐解くことで、《ボケ=ツッコミ=観客》の関係性を、「赦し」のコミュニュケーションとして位置づけた。

詳しくは前の記事を読んで欲しい。

 

赦されうるギリギリの逸脱(=ボケ)に対し、道徳的に適切な咎め方(=ツッコミ)がなされ、その過程を観客という総体が認めた時、初めて「赦し=笑い」が生まれる。

 

その協働的なコミュニュケーションは、現在の共同体で共有されている、あるいは共有されるべき倫理規範の内容を確認する過程として働くと同時に、私たちが、倫理を、あくまで健全に共同生活を営むための道具として用いるために必要不可欠な、「赦し」の訓練としても機能していると言えるだろう。

 

といった話を考えたのはもう2ヶ月前になるが、Twitterなどで今年のM-1の反響をリアルタイムで見る中で、やはり私のこの考えは、間違っていなかったと確信するに至った。

観客は、漫才を評価する上で、明らかに「倫理」を基準にしている。観客の批判の対象になっていた内容のひとつに、さや香の1本目のネタがある。オチとも言える「ブラジルからの留学生がおっさんであるならば、ホームステイは受け入れられない」というボケには、「笑えない」というコメントが多く見られた。

 

これがネットで酷評の的になった理由を、単に倫理を著しく犯しているからだと捉えるのは間違いだ。「赦し」という観点からこの「スベり」を解釈するなら、倫理を逸脱していることそのものが問題なのではなく、その逸脱が、ネタの中で十分に咎められることがなかったことが問題なのだ。

「スベり」の正体

さや香のネタでは、上記のボケは、それまでツッコミ役であったはずの新山によって繰り出された。これはかなり挑戦的な転倒であると言える。逸脱を正す側に立っていた人間が、その正しさを振りかざすあまり、いつの間にか倫理を歪なものに変えていく光景は日常でもよく目にするものだが、だからこそ、その逆転は観客を大きく動揺させる。つまり、その大きな逸脱を笑いに昇華させるためには、それに見合うだけの厳しい、烈火のごとき罰(ツッコミ)が必要なのである。

しかし、この逆転は4分間のネタの最後の30秒で起こった。罰し切るにはあまりに時間が足りない。その上、石井のツッコミも激しい糾弾というよりは、シュールさを狙った引き気味の反応であり、明確に批判の言葉が出たのは、最後の「めちゃくちゃやで、もうええわ!」のみであった。罪に対して罰が軽すぎる場合、観客はそれを赦すことはできない。

 

批判が出るのは常にこういった、ボケとツッコミの不均衡故である。しかし、逆に捉えれば、その場でこのネタがウケるかどうかは、観客が新山の逸脱をどれくらい重く捉えるかに懸かっている。新山の逸脱を「そりゃおっさんは嫌だけど、そんなに大声で言っちゃダメでしょ笑」くらいに捉えるなら、ツッコミはあの程度で十分なのかもしれない。そのような倫理を持つ人であれば、もしあの場で石井が、新山の声量を上回る勢いで、激しくどついたりしたら、むしろやり過ぎと感じて、冷めてしまうだろう。

評価が別れたのは、観客の間にそうしたグラデーションが存在する証拠だ。

赦せないものしか赦せない


「赦し」という観点から漫才を眺めるうちに、そのコミュニュケーションが、ある大きな矛盾を孕んでいることに気づく。

それは、我々は「赦し得ないもののみを赦し得る」という矛盾だ。

ヘーゲルが『法の哲学』において、「所有」を可能にしているものとして「譲渡可能性」を示したのと同様に、「赦し」においても、「当人の反省の度合いや、その社会的な処罰の程度によっては、赦さない場合も有り得る」という前提が、「赦し」という行為を可能にしているのだ。

 

この矛盾が示唆することは、「赦し」が、自己と罪との間の閉じた関係としてではなく、罪に対する罰を含んだ社会的なコミュニュケーションの中で、相互に承認されることによってはじめて可能になるということである。

 

「赦し得るもの」と「赦し得ないもの」が、倫理の側から所与のものとして与えられているのではなく、私たちは、「なにを赦すべきで、なにを赦すべきでないか」を社会的なコミュニュケーションの中で、共に考えて判断を作っていかなければいけないということだ。

その過程なしに、「赦し」は実現し得ない。もしも、我々がその三者のコミュニュケーションを放棄するならば、待っているのは他者を顧みない暴力と、同じく自己のためだけにそれらを弾圧する権力との、純粋な戦争状態である。

倫理の時間


私たちは、コミュニュケーションを辞めてはならない。私たちに許されているのは「笑う」ことだけではない。「笑わない」こともできる。笑いは言語である。私たちは日々、笑いによって、なにを赦して、なにを赦さないのか、相談をしているのだ。

場合によっては笑い、場合によっては笑わなかったりする。

それが倫理を形作るということである。

 


つづくかも笑

 

『未成年』とは何者か 〜近代国家ニッポンを貫く性と幻想〜

「ハライチ岩井この野郎!」

 最近インターネットを騒がせた話題のひとつに、ハライチ岩井の結婚報道がある。このような殺伐とした時代に生きながら、芸能人の結婚で盛り上がれるのは様々な意味でおめでたくていいのだが、世間の関心はもっぱらお相手の女性タレントの「年齢」に向いていた。

 お相手の奥森皐月さんは19歳で、岩井とは18歳差。さらに2人が初めて会ったのは奥村さんが13歳の時だという事実が、センシティブな話題の的となった。私が観測した範囲では、岩井に対する批判的な声が多く見られた。それらの意見の中には、未成年の女子を性的対象として見る成人男性への嫌悪感や、未成年の女子の未熟さにつけ込む男の悪徳への憎しみをストレートに表現したものや、岩井の行為を「グルーミング」という言葉で形容するものも少なくなかった。

 あらかじめ断っておくが、私はここで、岩井の行為が批判に値するものであるか否かを論じるつもりはない。むしろ、我々はなぜ、このような話題に「一言物申さずにはいられない」のか。未成年の女性の性が問題になる時、我々はなにがそんなにむず痒くて、いてもたってもいられなくなってしまうのか。私の関心はそこにある。

 

未成年のセックスと聞いちゃあ、黙ってはいられない!

 日本の現代史を振り返った時に、この岩井問題と同様の言説が、より大規模に、日本中を巻き込んで氾濫した事例を一つ挙げることができる。それは、90年台の援助交際ブームである。「援助交際」とは、「男性側の金銭の提供を代償に、素人女性側がなんらかの性的サービスをする行為」の総称であり、1994年頃から、テレクラや伝言ダイアルなどの匿名のメディアを通じて、日本中で大流行し、メディアはこの現象を、特に「女子高生」の間で蔓延する「不良行為」として社会問題化した。援助交際こそ、まさに日本中が「物申さずにはいられな」かったスキャンダルであると言える。財界、大学教授、芸能人、作家、……あらゆる人間がこの「社会問題」に言及した。挙句の果てには教育委員会警察庁などの公的機関までもが、援助交際ブームに対して公式声明を出した。そして今回の岩井の騒動に最も通底する点は、それらの言説がメディア上に氾濫し、日本全体を発情の渦に巻き込む一方で、当事者の言葉が徹底して黙殺されたという事実である。

 未成年のセックスが、なぜ我々をここまで動揺させてやまないのか。その答えを援助交際という現象の中に求めてみたい。30年前、この国は援助交際をどのように捉え、どのように語ってきたのか。その軌跡を追うことで、「未成年」の正体を明らかにしたい。

 

援助交際という「虚構」

 そもそも、一般的に援助交際は「ブランド品の購入などを目的とした、女子高生による売春」と認識されることが多いが、社会学者の圓田浩二は、その認識自体がマスメディアによって作為的に作り出されたものであることを指摘する。実際には、「援助交際に参与していたのは女子高生だけでなく、大学生、フリーター、OL、既婚女性など、実にさまざまな肩書きをもった女性たちであった」[1]にも関わらず、マスメディアにおいては、「援助交際」という記号の意味内容は「ブランド品の購入などを目的とした、女子高生による売春」に固定化されてきた。この作意に、ある種不気味なものを感じるのは私だけではないだろう。メディアは、「援助交際」という記号を、「女子高生」というイメージと「売春」というイメージを繋ぐ言葉として位置付け直し、現実は、報道が提示した援助交際の「現実」をなぞる形で再生産された。そのムーブメントは大衆の多大な関心を集め、異常とも思われるほどの反応を呼び込み、結果として「援助交際」という記号は巨大な発情装置としての機能を果たし続けたのだ。

 

何がそんなにいけないの?

 「女子高生がセックスと引き換えに金銭を得ている」ということが、ここまで大きく社会問題として取り上げられ得るのは、単にそれが法律に反しているから、というだけではない。先に述べたように、援助交際に参与しているのは必ずしも女子高生だけでなく、女子大生、OL、既婚女性など様々であることは先行研究が明らかにしている。成人女性の売春も法律上は犯罪であり、伝言ダイヤルやテレクラといった新しいメディアがもたらした新型の売春として総合的に取り上げられてもおかしくはないはずだが、どうして「女子高生」の売春だけが取り立てて報道され、問題化されるのか。それを考える前に、そもそも、「女子高生」とは誰なのか、という所に立ち返って、その記号につきまとう幻想を整理してみよう。

 

少女幻想誕生

 大塚英志は「少女」という存在が近代社会によってはじめて作られたものであることを指摘している。「近代より前に<少女>はいなかった。存在したのは性的に未成熟な幼女と、成熟した女の二種類だけである」[2]かつての民俗社会では、女性は初潮を迎える十三歳前後で、労働力としても、子供を産む「女」としても一人前と認知され、自分の配偶者も自由に選択できた。しかし、明治時代に入ると状況は変わり、旧民法は、女性は二十五歳にならないと自由に結婚できないと定めた(婚姻適齢の十五歳から二十五歳までの間は家長である戸主の同意、父母の同意が必要であった)。旧民法の条文から明らかな通り、近代社会は女性を「家長」の所有物と見做し、家と家を結びつける交換財として位置付けようとしていたことがわかる。大塚は、交換財としての女性と「学校」との関係を次のように説明している。

 

 社会は女性を初潮を迎え性的に成熟しながら、それが一人の男に使用されるまでのあいだ、とりあえずたいせつに未使用のまま保存し、さらにその商品価値を高めるために「学校」をつくり、そこで娘たちを教育しようとした。はっきりいって囲い込んだのだ。[3]

 

 1899年に発布された、高等学校における男女共学を禁止する「高等女学校令」には、こうした意図が背景として含まれていると言えるだろう。明治末期から大正期にかけて、相次ぐ女学校の新設や少女新聞の創刊と共に、<少女>という存在は形作られていったのだ。この新しく作られた少女という存在は、まさに「社会からの隔離と保護によって成立していた」[4]故に、少女はあらゆる「生産(労働力として家業に従事することや、子を産むこと)」から疎外された存在であった。本田和子の言葉を借りれば、少女とは「何ものでもあり得ず、何事もなし得ない」[5]存在なのである。

 

女子高生≒純粋消費主体

 「女学校」という隔離施設を土壌に培養されてきた少女像は、現代の「女子高生」に対する眼差しの中に受け継がれていると言うことができよう。マスメディアによる報道では、援助交際は「ブランド品の購入を目的とした売春」と位置付けられることが多く、実際に援助交際の動機の多くが「お金欲しさ」であることは、様々な調査やアンケートの結果として表れてはいる。そして、援助交際の主体が貧困による生活苦から売春という手段で金銭を稼ぐ選択をしているという例は極めて少なく、大部分が、現代的な意味での「消費」のために金を必要としていることも、援助交際の特徴の一つとして知られている。消費社会の論理が完全に浸透した90年代の日本において、女子高生もが消費の主体として現れてくるのは至極当然のことであり、むしろ「生産」から疎外された存在である少女たちは、純粋な消費主体と言うことさえできる。問題は、その消費社会の中で、<少女>誕生の出発点であり、少女を少女たらしめる最たる価値であったその「性」が、売買の対象となったことだろう。

 

記号と幻想

 「学校」という空間の不透明性、不可視性のために、少女は常に記号的な存在であった。その記号性が「清純」「無垢」といった少女に対する甘い幻想を肥大化させ続けたことは容易に推察できるが、その曖昧で夢想的な少女像が、同じく曖昧で匿名的な都市空間の中で、「援助交際」という曖昧な記号と共に崩壊し始めたということが、人々の不安を掻き立て、大きな関心と反応を呼んだと推測することはできないだろうか。

  本来非性的であるべきはずの少女が、実は性に対してアクティブで、一時的な消費の欲望のために性を売っていた、という事実は、「女子高生」という記号に対する夢見がちな幻想を揺らがせる。しかし「女子高生」という記号そのものや、女子高生に対する幻想的な欲望を完全に破壊するには至らない。何故なら「女子高生」とは人々にとって実態の掴めない記号的な存在であって、幻想はその不可視性を拠り所として培養されてきたからである。「援助交際」の事実は、幻想とのギャップ故に人々に大きな衝撃を与えはするが、記号の不可視性の内部に曖昧に包摂されるため、個別的な問題(例えば自分の娘や孫が抱えている問題)としては表出せず、その記号の裏面に不安として燻り続けるばかりなのである。

 女子高生という存在の、この記号性こそが援助交際報道と、それに対する反響を加熱、継続させた要因であると言えるだろう。実体のない記号に対する終わりなき幻想と挫折、それは本質的に社会という自己の内部で完結したサイクルであるが故に、不安は解消されることは無い。それはオヤジたちが女子高生を買い続ける理由にも繋がってくる。オヤジたちは目の前に現れた女性本人ではなく、その向こうに見出した「女子高生」、あるいは「少女」という記号に欲望している。援助交際をする女性たちは、客となる男性のことをしばしば「オヤジ」と呼ぶが、オヤジにとって援助交際は、自己と自己の中で培養された幻想との結合の儀式であり、現実にオヤジの相手をする女性は、自分が幻想と対面するためのメディアに過ぎないのである。つまり本質的にオナニー的なのである。つまり援助交際現象とは、社会全体があらゆる単位で「女子高生」という記号に幻想的な発情をしている現象であると言うことができよう。

 

禁忌と欲望!

 大塚英志が指摘するように、「少女」の誕生が女性を家と家を結びつけるための交換財として捉えるところから始まったとすれば、「少女」に対する性的欲望は常に社会的な抑圧を被ってきたと言わざるを得ない。交換財としての女性の隔離、保護の原型は、近親相姦の禁止に見ることができるだろう。

 

インセスト禁忌は母、姉妹、娘との結婚を禁じる規則であるより、母、姉妹、娘を他者に与えることを義務づける規則、典型的な贈与規則である。[6]

 

 レヴィ=ストロースが指摘するように、インセスト・タブーは、家族という集団を外に開くための規則であり、女性を交換財、贈与財とすることにより、他の家族、親族集団との結びつきを保証する制度だったのである。家族内の男性が母、姉妹、娘との性的結合を断念することが、外部との結びつきの前提条件であることはレヴィ=ストロースの述べた通りであるが、同時に、家族内の女性の価値を強調し、それに対する所有欲を一層掻き立てる行為でもあると、バタイユは指摘する。「禁止を受けた対象は、その禁じられたという事実そのものによって強い所有欲へと指し示されることになったのであると思われる。そういう禁止は基本的に性的な性質によるものであったから、おそらくその対象の性的な価値を(というよりむしろその対象のエロティックな価値を)強調したのである」[7]

 これと同じような構造を、少女成立の背景に見ることはおそらく容易であろう。「少女」に付きまとう「清純」や「無垢」といった幻想は決して偶然に結びついたものではない。女学校という男性の存在しない空間に女性を囲い込み、隔離、保護することは「少女」たちに対する性的結合の社会的断念である。この断念によって少女たちの性的な価値は強調され、所有欲は掻き立てられる。1899年の高等女学校令」は、インセスト禁忌を社会的に拡張した制度であると捉えることができるだろう。

 

我慢汁の報酬

 ところで、レヴィ=ストロースの論に照らし合わせて考えると、禁忌が禁忌として機能するのはその見返りが保証されているからであった。「娘や姉妹の性的使用の禁忌は、娘や姉妹をよその男のもとへ婚出させることを強制し、またこのよその男の娘や姉妹を権利の対象に変える」[8]。「よその男の娘や姉妹」が「権利の対象」になること、この保証の上に、インセスト禁忌は機能すると考えられる。近代日本においては、その保証はやはり民法によって賄われていたと言える。旧民法では、婚姻には常に家長である戸主の同意が必要とされ、さらに男は三十歳、女は二十五歳になるまでは父母の同意も必要であった。このことから分かる通り、家制度、家父長制による家単位での婚姻のコントロールが、法律上保証されていたと見ることができる。このことが、少女に対する性的断念に見返りを保証していたという構造が見出せる。

 しかし、1947年に民法が大きく改正されて以降、家制度、家父長制に対する法的な保証はなくなり、家族の形態も三世代型から核家族型に大きく推移していった。自由恋愛での結婚が多くを占めるようになった現代において、「少女」という存在はまさに宙吊りになっているのである。ここで、援助交際民法の改正による禁忌の破綻によって起こった現象として位置付けるのは、早計がすぎる。しかし、援助交際が「女子高生による売春」として社会問題化され、大きな反響を生んだ要因の一つに、禁忌としての「少女」と、禁忌によって強調され続けた少女の性的価値、増長され続けた少女幻想とその崩壊を考えてみることは、日本社会が抱える幻想の根深さを捉える上で、有効であると言えるだろう。

 

嗚呼、女子高生、女子高生。

 女子高生が市場において高い価値を認められ、少なからぬ欲望の対象として登場するメカニズムは、禁忌としての「少女」の存在に見出すことができた。「女子高生」という記号は、それが纏っている少女性故に、様々な幻想を背負わされていると言えるが、援助交際という現象がここまで大きく社会に波紋を呼んだ要因として、その「女子高生幻想の崩壊」という観点の外に、「大人」や「社会」という幻想の問題を発見することはできないだろうか。言い換えると、社会問題としての援助交際は、「女子高生による自由売春」という刺激的な記号の戯れそのものよりも、その幻想と現実のギャップを突きつけられた時に、何ら真っ当な批判や、対個別的な対処法を提示できない「大人」「社会」になってしまったということの方がよりセンセーショナルな問題だったのではないだろうか。

 

 確かに援助交際は危ない。いくら治安の良い日本といえども犯罪者はいるし、暴力や薬物などの危険に巻き込まれるリスクも少なからずある。にも関わらず、その危機感を当事者である女性たちと共有できない。それどころか、自分自身の中にさえその危機感をリアルに感じることができない。かつてはできたはずなのに、今はできなくなった。確かに援助交際は悪いことのような感じがする。売春は法律で禁止されているし、愛してもいない見知らぬ他人と性的な行為をすることは何となく悪い感じがする。しかし、それが我々の存在の核たる部分を揺るがすような問題としては全く迫ってこない。そのようなモラルがない。かつてはあったはずなのに、今はない。そもそも愛とは何かが分からない。愛がセックスにとってそこまで大事なものであったかどうかがわからない。かつてはわかったはずなのに、今はわからない。

 

 我々が「援助交際」という現象に直面したときに最も重大な不安として現れたのは、これらの事実だったのではないか。ここには、「少女」に向けられた幻想の崩壊以上に、「社会」や「大人」、「モラル」に関する幻想の大きな崩壊がある。意識的か無意識的かはさておき、メディアによる援助交際報道に含まれる言説の多くには、この後者の幻想の崩壊を覆い隠そう、あるいは否認しようとする意図を含んだ言説が多く見られる。マスメディアにおける援助交際報道の最たる問題点は、社会やモラルが抱える幻想の崩壊を否認することに躍起になるあまり、援助交際の当事者である女性たちが直面しうる危機や、本質的な動機に向き合わなかったことなのではなかろうか。以下では、実際の新聞、雑誌記事、書籍における言説を取り上げながら、我々が抱いている「社会」や「大人」に関する幻想の正体と、その実態を明らかにすることで、仮説の立証に取り組む。

 

 大人たちは、かつての常識やモラル、正しい知識といった共通理念が、新しい世代の中で失われたことを殊更に嘆いてみせることで、あたかもかつての日本(「我々の世代」)には確かにそれが存在し、かつ自分たちがそれを正統に継承しているかのように騙る。援助交際を社会問題として論じる言説の多くは、援助交際の孕む危険から少女たちを守るためというポーズをとってはいるが、それらが本当に守っているのは、常識やモラル、知といった権威的な幻想なのである。かつて日本人全体が共有する理念、意識として信じられたそれらの幻想は、ひとたび都市という匿名的な空間が与えられれば、跡形もなく崩れ去ってしまうような代物だったのだが(というよりも、そんなものは最初から存在せず、日本的な相互監視とタテマエによってかろうじて輪郭づけられていた文字通りの「幻想」だったのだが)、援助交際をめぐる言説の多くには、そうした幻想を温存するように働く様々なレトリックが、しばしばふんだんに散りばめられている。

 援助交際をめぐる言説において、援助交際の要因として語られるものは大きく6つに分類できる。一つ目は当事者の無知、二つ目は消費社会の発展とそれに伴う拝金主義の蔓延、三つ目はモラルの低下、四つ目はメディアに氾濫する性情報が与える悪影響、五つ目は家庭環境、六つ目は偏差値優先の教育。マスメディアにおいて展開されるこれらの原因論は、どれもある程度は正しく、ある程度は間違っている。援助交際成立の背景に、消費社会の発展に伴う消費主体の広範化や、ブランド品をはじめとする商品への需要の喚起があることは確かであるし、テレビドラマで描かれる性描写や、告白情報誌などを通して得られる性にまつわる体験談が、女性たちの好奇心を刺激している可能性は否定できない。ただ、これらの原因論の妥当性は定量化できないうえに、援助交際をする主体には、その数だけ違った背景と動機があるということは、社会学者たちによる詳細なフィールドワークが明らかに示しているところである。あくまでここで問題とするのは、言説の正当性ではなく、細部の言語的表現、レトリックに込められた意図である。

 

オヤジの説教の考古学

 一つずつ例を挙げて見てみよう(なお、引用文における下線、傍点は全て筆者によるものである)。まずは、援助交際に走る女性たちを「未熟さ」の中に位置付け、彼女たちの「無知」にその行動の源泉を見出すタイプの言説である。

 

援助交際に)そのような危険性があるということに、若い女の子たちは考えが及ばないのです[9]

 

10代の若者といっても、そういった大量の商品や情報を選別して何が自分にとって必要なのかということを選択する力はまだまだ足りないのです。だから、どんどん欲しいものが増えてくる。そうして短絡的にお金を稼げる援助交際へと足を踏み入れてしまうのです。[10]

 

セックスは知っていても、からだのことは何も知らない[11]

 

セックスは気持ちいいという思い込み[12]

 

 このように、女子高生を「未熟」の側に位置付け、その「無知」を間違いのもととして語る言説は、まさに少女を未熟者、「何者でもあり得ず、何事もなし得ない」存在として隔離と保護の対象と見做す、明治末期以来の少女幻想をそのまま踏襲した態度であると言えよう。構造としては女子高生を買うオヤジたちの抱く幻想と全く同質の幻想を前提とした言説であり、その幻想を補完する役割を果たしているとさえ言えるだろう。

 

拝金主義批判

 次に、バブル景気に伴う消費社会の急速な発展と拝金主義の蔓延が、女子高生を援助交際へと駆り立てた、という言説を見ていく。

 

八〇年代後半から、日本はバブル景気へすすんでいきました。あの時代はお金があれば何でも買えると私たちに錯覚させていた時代でもあったと思います。それがセックスであろうが愛であろうが。(中略)そうやって私たちの常識もモラルもタブーも、何から何まで狂っていったのです[13]

 

 ただし誤解してはいけないのは、その先女子高生たちが援助交際で繰り広げるのは、ロマンスグレーのオジサンたちとの恋愛ごっこでもないし、性の技術の習得でもないということである。彼女たちの意識はある高校一年生が言った「私はマグロ、オヤジは財布」の一言にみごとに集約されている。(中略)冷凍マグロのように身を凍らせ、相手の性が果てた末に金銭に変わるのを待つというのは、どう考えても生身の人間の性とは言いがたい。(中略)その意味で彼女たちの行動は性行動にほかならないのだけれど、意識のうえではあくまでも経済活動として位置付けているのである[14]

 

 一つ目に挙げた赤枝恒雄(自民党所属、元衆議院議員)による言説について。まず、「お金があれば何でも買える」という認識を「錯覚」と表現している点からは、性や愛といったものは本来売買の対象とはなり得ない、経済とは別の論理で動いているものであるという幻想を真実たらしめようという意図が感じられる。その上で、拝金主義が「私たちの常識もモラルもタブーも」狂わせていったという認識には、バブル以前に人格を形成したであろう「私たち」の世代には、「常識」「モラル」「タブー」といったものが正しく共有されており、それは不足なく機能していた、そして著者は時代に狂わされることなく、その正しさを受け継いでいるという幻想が見え隠れする。同様に黒沼克史による、援助交際を経済活動として一元化する言説では、経済活動としての売春行為を「生身の人間の性とは言いがたい」とまで断じているが、ここにも本当の「生身の人間の性」は経済の論理が介入できるものではないという幻想が垣間見える。そしてこうした言説は、援助交際における性のあり様を非人間の側に位置付けることで、我々人間側の、おそらく「愛」に基づく性のあり方の正統性を逆説的に補完していると言えるだろう。

 

「そんなんじゃ社会で通用しないぞ!」

 次に見るのは、援助交際をする女子高生を批判する、小説家の三浦朱門による言説である。

 

 自分は金のために一時の間目をつぶってやっていただけだ、と自分を欺き通した場合には、彼女は現実を直視する勇気を持てなくなるだろう。人生のあらゆる局面において、自分は悪くない、悪いのは相手だ、社会だ、という形で自己を正当化することになれてしまう。そこには健全な社会意識が育つ訳もないし、社会として通用する人格になりうるとは思えない[15]

 

 まさにオヤジの説教の典型的な例といったような文章であるが、ここにも前時代の世代に共有されていた幻想の跡が見える。要するに、「そんなのでは社会で通用しないぞ」という説教は、大正から1960年代にかけて共有されてきた家庭の存在様態に関する幻想の残滓なのである。『「異界」を生きる少年少女』において、宮台真司は、かつて父親とは社会と家庭という二つの異なる共同体を結びつける架け橋のような存在としてあったことを論じている。

 

 かつて父親が「確か」な存在でありえたのは、一口でいえば共同体に守られていたからであった。それは古くは地域共同体であり、大正期からは都市化と並行して会社共同体が浮上しはじめた。いずれにせよ、父親は<世間>を支えにできたからこそ「確かさ」を保持し、子どもを「そんなことで世間が通るか」と叱責できた。べつの角度からいうと、父親は、それが地域共同体であれ、家庭とは異質の地平を家庭そのものに運び入れてくる存在だったということである。[16]

 

 宮台によると、70年代に入ると、会社共同体は父親の全時間を包括しうるものではなくなり、増加する私的時間の活用に焦点をあてた、「ミーイズム(私生活主義)」が勃興する。世間という拠り所を失い、「確かさ」を喪失した父親は、<世間>的共同性を<若者>的共同性という幻想に置き換え、夫婦や親子が従来の役割を脱ぎ捨てて友達のように振る舞う「ニューファミリー」と呼ばれるスタイルが誕生した。[17]

 当時「ニューファミリー」的な家族様式がどれほどの割合で存在していたかは定かではないが、どちらにせよ、かつて父親という存在にア・プリオリに与えられていた権威や役割は、70年代頃から既に消失していったと考えてよいだろう。そのような状況の中で家族的な共同性を維持するには、それぞれの成員がそれぞれの役割を演じ続けるその仕組みに互いに同意し、それぞれが役としての父親、母親、子どもを、正確に過不足なく演じ続けるという形をとらざるを得ない。[18]中野収はこの状況を「『家族する』家族」と表現したが、そういったある種の自己欺瞞を孕んだロール・プレイング型のコミュニケーションの日常化は、援助交際という現象が成立する背景にもなっている。80年代半ばより、「電話風俗」や「告白情報誌」の発達により、女性たちは「都市的現実」へと開かれた。[19]告白情報誌には、テレクラや伝言ダイヤルの広告とともに「読者体験告白」という形で都市における性のありようが当事者の言葉で赤裸々に語られた記事が掲載されている。「私、処女を6万で売りました。それからは売春がやめられない私…どうしたらいいの‼︎」[20]というような見出しの下に、テレクラを介した年上の男性とのセックスや売春のエピソードが、詳細な経緯とともに当事者視点で描かれる。そういった情報に触れることで、「たとえ親でもひとたび都市へと放たれれば一人の男であり、女である」[21]という現実を知ることになる。これにより、家庭内でのロール・プレイング型コミュニケーションの欺瞞は隠しきれぬものとなり、女性の側からは、家族関係は単なる「役割演技」として認識されるようになる。それに伴い、女性たちの普段の振る舞いも、幻想的な共同性を基盤にしたものから「際限なきロールプレイング」[22]によってその都度の場に適応するやり方へと変化する。筆者は、この「際限なきロールプレイング」の日常化こそが、援助交際における匿名的コミュニケーションの成立の下地になっていると考える。ロールの向こう側の「本当の人格」を問わない役割演技型のコミュニケーションの特性は、都市空間における他者との関係の匿名性に対して親和性が高く、コミュニケーションを円滑にする効果があると考えられるからだ。圓田浩二によると、実際に援助交際の現場では役割演技的なコミュニケーションが常に発生している。

 

 援助交際というステージにおいて、参与する男女はそれぞれの動機や目的によって、自らの演じる役割を選択しパフォーマンスを遂行する。(中略)内面希求型<欠落系>のサブカテゴリー<AC系>において、コミュニケーションを求める男性に娘や妹といった役割を、内面希求型<欠落系>のサブカテドリー<魅力確認系>においては、自己の性的価値を認め高めてくれる男性に恋人の役割を、ときには自発的演じる。これら二つの類型では自己の内面を支えてくれる役割を担った異性を必要とし、対他的な志向をもつ。しかし、残る二つの類型では対自的で、関心は自己に向けられている。欲望肯定型<快楽系>でおいては、日常の自己とは異なる性的な快楽を得る享楽的な女性を演じ、効率追求型<バイト系>では金銭以外に目的がなく、無関心に振る舞う。[23]

 

 このように意識的に役割を使い分け、その都度の関係に自在に適応する女性たちと比較すると、<世間>という拠り所を背景に家庭と社会を結びつけていたかつての父親の役割にしがみつき、社会のなんたるかを説くオヤジたちの姿は滑稽であるとさえ言える。女性たちが客の男性を「オヤジ」と呼ぶのは、ある意味でとても象徴的なことである。己の中で培養された夢想的な少女像を女性たちに求め、かつてア・プリオリに与えられていた権威的な男性としての役割にしがみつき続ける彼らは、まさに「親父」が内実を失って、既に崩壊した家族や少女に対する幻想の中で虚に彷徨い続ける、亡霊と化した「オヤジ」なのである。

 

愛をささげよ!

もう一つ、援助交際をめぐる言説において頻繁に登場するのが、性が「人格」や「たましい」などといった個人の核となるような概念、あるいは実存そのものとイコールで結びついているということを前提とした説得である。

 

 金のためにそのような軽蔑すべき男と交渉をもてば、自分の人格も傷つくということを彼女らは考えないのであろうか。[24]

 

 繁華街で笑い声を上げる少女たちも「援助交際」に手を染めていた。どんな気持ちで「自分」を売るのか、きっかけは何だったのかを聞いた。[25]

 

 文相の諮問機関、保健体育審議会は二十四日、中間まとめを公表した。(中略)中間まとめは、社会問題となっている援助交際などの性の逸脱行動を取り上げ「自らの性を商品化することであり、社会的に認められないもの。人格を直接傷つけ心と体の健康を損なう行為」と規定。[26]

 

 このように、政府の諮問機関までもが<性=人格説>の前提に立ち、援助交際の反社会性を論じている。このような、性が人格と直接的に結びついているという考え方は、最も広く共有され、かつそれが崩壊してしまうということに対して最も強い抵抗が見られる幻想の一つでもある。日本人にとって、この<性=人格>という幻想がここまで根深く信じられ、その崩壊が激しく拒否され続ける理由は一体何なのだろうか。それは次にあげる朝日新聞の一般投書のコーナーに寄せられた、一般市民による言説をもとに考えてみる。

 

 援助交際「エンコー」は、わずかなお金と引き換えに魂を殺すことだ。二十年前の中学生からのお願いだ。どうか「魂の自殺」をしないでほしい。本当に好きな人ができたとき、その気持ちに恥じない自分でいられるように。[27]

 

 援助交際を「魂の自殺」と表現するこの投稿者もまた、愛していない男とのセックスが人格を傷つけるという<性=人格説>を内面化していると言えるだろう。そして注目すべきは、その「魂の自殺」を咎める理由として「本当に好きな人ができたとき、その気持ちに恥じない自分でいられるように」と書かれている点だ。ここでは「貞操を守ること」が「本当に好きな人」と対等に付き合うための必要条件であるということが暗に示されている。ここには「女性の性はパートナーとなる一人の男性のために<愛>とともに捧げられるべきものである」という価値観が潜んでいるとは言えないだろうか。圓田浩二は、この価値観が成立する社会的な背景として家父長制の構造を指摘している。

 

 この愛が異性間の性交に持ち込まれることで、性交は二種類に弁別される。正当とみなされる異性間の恋愛から派生する性行と、正当とはみなされず排斥される愛情のともなわない性交である。そして、家長である男性の妻や娘といった女性がする性交を、愛情にもとづく正当な行為として囲い込み、愛情がともなわない性交をする女性を「売春婦」や「淫乱」「ヤリマン」と名づけ、スティグマを付与し蔑み、その外におく。また家父長制のなかで男性は女性を二種類に弁別し、この二種類の女性との性交を自由にすることができる。[28]

 

逆に言えば、<性=人格説>とは、「売春婦」「淫乱」「ヤリマン」といったスティグマの付与を脅しの道具として用いることで、女性の性を<愛>に服従させるための方便であるとも捉えられるだろう。対等な人間として扱って欲しければ<愛>にセックスを捧げよ、ということである。

 この理論を踏まえて援助交際という現象を考えると、援助交際がなぜここまで大きな反応を呼んだのかが自ずと明らかになってくる。女性を家と家との間で交わされる交換財として解釈するところから始まった<少女>という存在と、それへの幻想は、当然「女子高生」という記号に対しても継承されている。処女であることでその性の価値を高めることが期待されていた少女たちは、言うまでもなく家長によって家庭内に囲い込まれることを前提とした「正当」な性の対象であったはずだ。しかし援助交際という現象においては、当の少女たちが自らその幻想をうまく利用して、「正当」な少女である私が好きでもない相手と性的な行為をする代償として金銭を得ている。幻想を利用しつつ幻想から降り、恋愛や結婚などの<愛>に縛られないセックスを秘密裏に展開する彼女たちは、<性=人格説>によって要求される愛へのセックスの服従を拒否すると同時に、彼女たちを買う男たち自身をして、かの弁別を揺るがしたと言えるだろう。大人たちが援助交際咎める理由として殊更に「人格への影響」を唱えるのは、<性=人格説>という幻想をどうにかして温存し、女性の性を<愛>に服従させ続けようという意識の表れであると言える。

 

30年後のいま

 このように、援助交際をめぐる言説の多くには、個別的事象として現象に向き合うのではなく、「女子高生の売春」という事実によって暴露されかけた数々の幻想の欺瞞性や崩壊を、改めて否認しようとするものが多く含まれていることがわかった。視点を現在に戻してみよう。現在のインターネットを飛び交う性に関する様々な言説、「パパ活」や「港区女子」に物申す言説、30年前と何ら違うことはない。

 

 世の中のことなんにも知らなくて、バカで未熟で騙されやすい未成年を手篭めにするなんて最悪だ‼️

 

 ハライチ岩井批判のロジックとしてよく見られた言い分である。女性を守る立場に立っているように見えて、それが想定している「愚かな女性像」の内実は、キモい親父が抱いている幻想と何ら変わりはないどころか、まったく同質のものであるだろう。

 10代の若い女に欲情するオヤジがキモすぎるあまり、「10代の若い女」に成熟した身体と自立した意志があることを見失ってはいないだろうか。10代も後半になれば女性として成熟した身体を持っているし、大人が勝手に疎外しようとしているだけで若者は社会をちゃんと見ているし、頭もいい。批判する側もつけ込もうとする側も、身勝手な幻想の中に彼女らを位置づけて、当事者を無視しているという点で同じ穴のムジナだ。高校生にもなれば一人一人が立派な個人なのだから、当然自由にセックスする権利もしない権利もある。当人に属している。同級生と付き合っても年上彼氏でも、相手が同性でも異性でも、それは他人が口を出すことではない。相手が自立した人間であるという前提なしに当事者に向き合うことはできない

 ミイラ取りがミイラになってはいけない。

 

 

 

[1] 圓田浩二『誰が誰に何を売るのか?―援助交際における性・愛・コミュニケーション―』関西学院大学出版会、2001年、p.128

[2] 大塚英志『少女民俗学 世紀末の神話をつむぐ「巫女の末裔」』光文社、1989年、p.18

[3] 大塚英志『少女民俗学 世紀末の神話をつむぐ「巫女の末裔」』光文社、1989年、p.18

[4] 圓田浩二『援交少女とロリコン男 ロリコン化する日本社会』洋泉社、2006年、p.164

[5] 本田和子『異文化としての子ども』紀伊國屋書店、1982年、p.156

[6] クロード・レヴィ=ストロース 福井和美(訳)『親族の基本構造青弓社、2000年、p.775

[7] ジョルジュ・バタイユ 湯浅博雄・中地義和(訳)『エロティシズムの歴史』哲学書房、1997年、p.65

[8] クロード・レヴィ=ストロース 福井和美(訳)『親族の基本構造青弓社、2000年、p.131

[9] 赤枝恒雄『子どものセックスがあぶない』WAVE出版、2002年、p.25

[10] 同上、p.26-27

[11] 同上、p.30

[12] 同上、p.45

[13] 同上、p.27

[14] 『Ronza』朝日新聞社、1997年2月、p.120

[15] 『This is 読売』読売新聞社、1997年9月、p.283

[16]門脇厚司・宮台真司『「異界」を生きる少年少女』東洋館出版社、1997年、p.123

[17]同上、p.124

[18] 中野収『「家族する」家族』有斐閣、1992年、p.111

[19] 門脇厚司・宮台真司『「異界」を生きる少年少女』東洋館出版社、1997年、p.127

[20] 『おちゃっぴー』マガジン・マガジン1994年4月、p.86

[21] 門脇厚司・宮台真司『「異界」を生きる少年少女』東洋館出版社、1997年、p.127

[22] 門脇厚司・宮台真司『「異界」を生きる少年少女』東洋館出版社、1997年、p.128

[23] 圓田浩二『誰が誰に何を売るのか?―援助交際における性・愛・コミュニケーション―』関西学院大学出版会、2001年、p.100

[24] 『This is 読売』読売新聞社、1997年9月、p.282

[25]朝日新聞 朝刊』1997年5月9日

[26]朝日新聞 夕刊』1997年6月24日

[27]朝日新聞 朝刊』1998年12月10日

[28] 圓田浩二『誰が誰に何を売るのか?―援助交際における性・愛・コミュニケーション―』関西学院大学出版会、2001年、p.237

ヘイト漫才は漫才か。 M-1から考える「笑い」の社会性

ヘイト漫才 

 毎年この時期になると、M-1グランプリに向けた期待の高まりに伴って、予選のニュースがじわじわと話題にのぼり始める。

 今年は、女子小学生コンビの「ラブリースマイリーベイビー」や、なかやまきんに君ケイン・コスギの「パーフェクトパワーズ」など、個性的な面々が予選を賑わせている一方で、漫才を騙ったヘイトスピーチを披露するコンビが批判の的になっている。

 予選のネタはYouTubeで見れるようになっているので見てみたのだが、吐き気を催すほどの幼稚で下劣な民族差別を、恥じるどころか得意になって喚き散らす大人2人の姿にはめまいがするばかりで、とても芸と呼べる代物ではなかった。まともに取り合う価値がないので、当のネタについてはこれ以上言及しないが、反対に、芸とは何かという問題をここから出発させてみることとする。

「Q.漫才とはなにか」

 「ヘイト漫才は漫才か」と問うたはいいが、そもそもそんな問いが問題になり始めたのはいつ頃からだろうか。最も記憶に新しいのは、2020年のM-1グランプリだろう。優勝したマヂカルラブリーのネタは、舞台上を激しく動き回り、しゃべり以上にアクションでボケを表現しているという点で、「漫才ではないのではないか」という見方が論争の種になった。

 このように振り返ってみると、2019~2020年は漫才の世界が大きく問い直された時期であると言える。2019年のM -1でブレイクしたぺこぱが「誰も傷つけない笑い」としてお茶の間に受け入れられた一方で、THE MANZAIで「社会風刺」ネタを披露したウーマンラッシュアワーは、お世辞にも歓迎とは言い難い、冷ややかな視線を浴びることとなる。

 しかし、この時期に投げかけられたさまざまな問いに対して、明確なアンサーが表明されることはついになかった。コロナウイルスを経て、お笑いの世界はSNSYouTubeを起源とする新しい潮流に塗り替えられてしまったように思える。その波は、既存のテレビ的なウケ方に寄り添うわけでもなく、はたまた対立するわけでもなく、いますぐ何かを穿つことのない流動体として、タイムラインに寄せては返している。

 「漫才とはなにか」そんな問いがあったことさえ忘れ去られたこの年に、ヘイト漫才がM-1の舞台を汚したのは、まさに2023年という年を象徴する出来事のように思われる。ポピュリズム陰謀論が、自民党によって食い荒らされた日本人の内面の、最後の皮膜までを食い破ろうとしている今、我々は考えなくてはならない窮地に陥ったのだ。「漫才とはなにか」を。

罪と罰』?

 前提として、漫才は非常にシンプルかつ特異な構造を持つ形式だ。センターマイクを挟んで、突拍子もない言動を繰り出すボケと、それを鋭く正すツッコミの二役によって構成される掛け合いの様式が漫才の基本であるが、これは単純な図式であると同時に、それが生み出す笑いの世界は、一言ではなかなか説明がつかない。アメリカのスタンダップ・コメディのような「道化」の世界とも違えば、ドリフのコントのような「滑稽」の世界とも違う。漫才が作り出す笑いは、世界を見渡しても類型がないのではないだろうか。私は、この日本に特有の笑いの世界を、「赦し」の世界と位置付けてみたい。

 まず、漫才において、ボケとツッコミの掛け合いが生み出すコミュニケーションを、「倫理」という観点から整理してみたい。「倫理」という観点から漫才を見てみると、ボケが繰り出す突拍子もない言動や、逸脱した行為は、倫理規範の侵犯と位置付けることができる。ボケは既存の社会的規範や道徳の中では通常疎んじられるような行動や、禁止されている行為を犯す。ツッコミは、ボケの犯した禁忌が観客の心を動揺させる寸前で、鋭く相方を罰する。社会道徳に裏打ちされた迷いのないどつきと、筋の通った正論で、ボケの罪を咎め、諌める。この繰り返しが漫才である。では、この倫理に対する侵犯と、それへの罰という過程の中で、「笑い」の占める立ち位置とは何なのか。それが「赦し」なのだ。「倫理」という観点からみると、漫才とは、ボケの罪をツッコミが罰し、観客がそれを赦す、という協働的なコミュニケーションに他ならない。このコミュニケーションが健全なものとして成立するためには、ボケの罪は赦されうる程度の罪でなければいけないし、ツッコミによって下される罰は罪に対して過剰であってはいけないし、反対に不足していてもいけない。そしてなによりも特徴的なのは、その過程が赦しうるものであるかどうかの判断が、観客自身に委ねられているということだ。言い換えれば、観客にウケなければ、その「罪と罰」は受け入れられないものと看做されたことになる、ということだ。観客は、自身の笑いによってその過程に赦しを与えている。

 これらの特徴から鑑みても、漫才という芸は非常に社会性の強いコミュニケーションだと言える。愚か者を演じる道化を、観客が一方的に「嘲笑」するコメディとも違えば、世界の様相をまるごと「おかしみ」の方向にずらすコントとも違う。漫才とは、人間が互いを尊重して生きていくために必要な倫理を維持しながらも、その倫理をあくまでも道具として、健全に機能させていくために必要な「赦し」を、「笑い」置き換えて演じてみせる芸なのだ。

 「誰も傷つけない笑い」が肯定的に取り上げられた当時、その風潮に対して「コンプライアンスに縛られてやるお笑いなんてつまらない!」という訴えから批判的立場をとる者もいたが、漫才に限って言えば、そのような主張は的外れも甚だしい。漫才が「倫理」を材料にしている以上、コンプライアンスこそが漫才であり、コンプライアンスがなければ漫才は成立しない。赦されうるギリギリの逸脱に対し、道徳的に適切な咎め方がなされ、その過程を観客という総体が認めた時、初めて「赦し=笑い」が生まれる。漫才とは、我々人間が、互いのために倫理(コンプライアンス)の健全な調整を図る過程そのものである。

思いっきり笑うために

 以上のことからも明らかなように、漫才が芸人と観客との協働的なコミュニケーションである限り、それが「漫才であるか否か」を決めるのは、私たち観客なのだ。他者の尊厳をいとも簡単に踏み躙り、人権を無視するような行為が横行する現在だからこそ、我々は今まで以上に、自らの「笑い」が持つ意味に自覚的にならなければならない。目の前で行われている行為を赦すべきか否かは、私たち自身が決めなければならない。超えてはいけない一線を超え、他者の尊厳をおもちゃにする「さぶいボケ」や、弱い立場の人を標的にして、的外れな罰を与えようとする「わかってないツッコミ」に対して、我々は冷ややかな沈黙で答えなければならない。来場者アンケートにはありったけの悪口を書いてやる。こんな世の中だからこそ、思いっきり笑いたいからね^^